日本語の難しさ


こんにちは、なんとかお盆を乗り切りました。雪あやめです。


夏コミまわりの思い出は悲喜こもごもたくさんあるのですが、また別に。

ひとまず、この一か月…くらいかな?悩んでいることについていったん文字に吐き出してしまわないと、何度も思い返してしまっているので、忘れるために書いてしまうことにします。

でないとね、思い出すたび、泣きそうだから。


まず、Twitter。

雪菖蒲の鍵垢のほうですけれど、某CPシナリオを任されていたとき、雑談通話中に何度「平気だよ」と言っても、自分のTwitter見返してこい、とか、あれを見ているのに心配しない依頼主さんの思考がわからない、とか言われてしまって。

「追い詰められている人のそれ」「明らかにやばい」

そんなつもりはまるでなかったし、読み返してもやっぱり、そんな様子はないんですよね。


だって、その前後でほんとにやばいやつは、もう10年来の付き合いのほうの一番最初に作ったリアル用鍵垢に放り込んでいる。

雪菖蒲のほうはいちおう、人に見られていることを意識して、まだまともな日本語のやつだけを書いているつもりだったし、読み返してもそう。でも、他人から見るとメンヘラやばい人らしい。


それは困ります。何のために擬態しているのか。


なので、まぁ、ストレートにつぶやきを減らして、ゲームの感想とか、こう、ヲタクの暴走垢としての用途をもっと前面に出していこうぜって方針を切り替えました。

リアル事情や思考はなるべく書かない。


で、それで運用してみて二、三週間。しかし今までの癖でつい、思考の一部を雪菖蒲に書いてしまっては、どうも人を気に病ませている。だいぶ減ったと思うんですけれどね、どうやらダメらしい。

てことはもう、思考を呟くのは完全にやめて、まじでゲーム楽しー、と、ごはんたべた!みたいな感じにしないといけないかなと検討中です。

それでもガチャ爆死のつぶやきしかないんだけど(笑


うまく生きていきたい。




次に、音声通話、雑談、音声でのオンラインセッション。

この問題点は明確です。ボイセを一年半やってみて、「やっぱりだめだった」だけ。


そもそもの前提として、私は人と「フランクに会話する」ことが苦手です。演説とか、人前で話すとか、ディベートとかはいいんですけれど、雑な談話がとことん不得手であります。


実は私は、対人フランク会話の使用言語が、そもそも敬語なんですよ。ベースで敬語で話したい。

幼稚園から小学校四年生ほどにかけて、まず、敬語ベースの話し方に感情を載せる訓練をして、その次に、敬語を崩す訓練をしました。単純にしんどかった。

すごくつらくて苦しかったし、ふとしたときに出てしまっては「冷たい」「どうしてそんなひどい言い方するの」「わざわざ偉そうに」って何度も嫌がられて。

「もっと楽に話してよ」「あなたの素を見せてよ」が割としんどいですね。もともと地で話しているのですよ。気軽に話しているし、気楽な姿勢でいる。しかし、それは人を突き放しているように思われてしまうのです。


それでいて、思考に十重二十重にフィルターをかけて、常に緊張状態でようやく使えるようになったタメ語で、「やればできるじゃん」「もっと気楽にやってこー!」と言われるわけです。「やっと心許してくれた感じがする」などと言われてしまうともう、しんどい。


笑ってますけどね、えー前から大好きだったよ、みたいに。

人と話すことが大好きで、あなたと話したいから、頑張れるけれど。

つらいなぁ。


もうね、思考している言語なんてまるきり報告書みたいなものです。このブログの書き言葉さえかなり意図して崩しています。


成人以降ようやく、「親しき中にも礼儀あり」の世代になって、「ネット友達とはいくら親しくなっても「崩した丁寧語」程度の喋り方が同然」の環境になって、息がしやすくなりました。


そこでやめておけばよかったのに、私はついコミュニティに参加してしまうんですね。人が大好きだから、誰かと話していたいから、人のいるところにってしまったり、集めてしまったりする。


そうすると言語の問題が再浮上するわけです。

周囲は親しくなればなるほど言葉が砕けていきます。その方向性のほうが多数派なわけですから、これは自然な流れです。しかし、その中で私だけ、どんどん使用言語が難しく、固くなっていったらどうでしょう?

空気がひどいことになりますよね。


なので、周囲の様子を観察しつつ、そのグループ内で崩れやすい人にペースに合わせつつ、崩していきます。

親しくなればなるほど、話す時に注意と集中力が必要であると、それは私にとって人生ずっとそうだったので苦も苦でないもありません。そういうものです。私にとってはそれが「親しくなっていく自然な流れ」です。そうしてでも、あなたと話したいのです。


ですが私も、人間なので、気が抜けてしまうことや、集中力が保てないことがあります。

ど凹みして愚痴を言う時なんて完全に敬語です。いっそ丁寧すぎるくらいの言葉で罵倒しています。


そもそもFERA系列の特技の取り回しはわりと苦手なんですね、私。どらこにあんのステラナイツが限界かな。

なので、深夜まで及ぶセッションかつ、高難易度だったり、そもそもコンディションが悪かったりすると、通常「言葉遣いを直すことに割いている思考リソース」が、特技の取り回しやダメージ計算に取られて、足りなくなってしまう。

すると口から出てくるのは素に近い、対人用ベースの敬語か、もっと限界まで行くとディベートの用の端的な喋り方です。これ何語っていうんだろう。しいて表現するならば議論語でしょうか。

眠くなってきたから丁寧語崩れちゃう、と同じ現象ですね。私としては、眠くなったり疲れたりしたら、多少言葉が雑(=議論語)になっても、友達だから許してくれる、という甘えの発露でありました。

それが人をたいそう傷つけると、失念していたわけです。


最近、あまりにも友人方が気遣って、私を人間扱いしてくれるものですから、私みたいな化け物でも、普通じゃない馬鹿でも、多少は素を出しても一緒に居られるような気がしてしまっていたのです。


愚かでしたね。

あ、化け物とか普通じゃないとか、失敗作とかは親からうんざりするほど言われ続けた評価なので、いまさら覆らない私の肩書です。もう沁み込んでしまっていますし、


思い出深い母の言葉があります。

「あんたは賢いかもしれないけど、人よりたくさんいろんなことが見えて、対処できちゃうのかもしれないけれど、その分だけ人を傷つけてしか生きられない」


そのとおりでした。

いまこうして、自分の力だけで友人関係を構築してみてしみじみと、母の忠告が身に沁みます。


私がもうちょっと普通なら、もしくは普通を装えていたなら、壊れないで済んだ友達関係があり、傷つけないで済んだ人がいました。

そもそも人恋しく話せる人を探して彷徨ったりしなければ、良かったのでしょう。猛省するばかりです。


しかし、過度な自戒は、それはそれで他人の重荷になるそうです。いくらなんでも学びました。ゆえに、できる範囲の対処を取ります。


ひとまずの応急処置として、

・当面の間、ブラッドパスでは高練度帯PLをしない。しても良いのは、私の素が敬語や議論語だと理解して、対応できる人とだけ。(応急対処、保険策)

・GM業に可能な限り専念する。こちらは高練度帯も可。(丁寧語ベースなので、言葉遣いを修正する必要がないため)

・原稿で忙しい間に、全ファクター特技と、エネミー特技の取り回しを200~300戦程度の模擬戦をして、高練度帯の戦闘になった時パターンを読めるようにする(言葉遣い用の思考リソースの確保)

・テキセ民に戻る。(チャット欄に打ち込みながら見直し、送信する前に見直すことができるので、2度チェックできることにより言語の事故を予防可能)


友人関係の構築上の、自分の欠点を再確認できたという点において、七夕シナリオをやっていただいたGMさん、PLさんには心から感謝しています。さぞ言いづらかったことでしょう。おかげで私は、自分の不用意さ、甘さ、不勉強さに気付くことができたのです。多くを傷つける前に、最初に止めていただけて本当にありがたかった。

友人とはかくもありがたいものだと、しみじみと感謝の念に堪えません。




人になりたいなぁと生きて来た今までですが、ここ数年はあきらめ気味です。せめて人っぽく擬態して生きていきたいなぁ。


素を出して、と言われたときに出せる用のベースのキャラクターもだいぶ完成してきましたが、そろそろ年齢との乖離があるので、微調整が必要ですね。


うまく生きていきたい。


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, il dormait à son ombre.

雪あやめ(@yukey_ayame)の個人的な物置き